2013/04/28

目が悪いということ

生まれつき目の悪かった私が
レーシック手術を受けたのは7年前のこと。
焼けるような目の痛みに5日間苦しんだ後、
待っていたのはだらしのない日常だった。 

手術前の私の世界は、
コンタクトを装着している間だけが公式の世界。
コンタクト装着と共にに一日が公式に始まり、
コンタクトを外すと公式な一日が終わった。
コンタクトを外したぼんやりした世界は、
共有する人のいない、私だけの非公式な世界だ。
全ての輪郭がとけた色だけの世界。
同じ世界を見ている人はいない。

その世界を失って寂しかった。
目覚めると同時に、くっきりとした正しい世界がじゃじゃーん、
と私を待ち受けている。 


視力の衰えを感じる今、またあのぼんやりした私だけの世界が戻ってきた。
水の中から世界を透かして見る。
きっとまた面白い世界が戻ってくる。
それで良いのだと思う。


 

2011/05/07

静かな身体_4_

 ネイを土地から連れ出したのはダイである。どういうわけなのか、土地にふらりとやってきたダイは、そのまま二年の時を土地で暮らし、ネイと格別な交流があったわけでもないのだが
「街に戻るので一緒に行きましょう。」
 とある日の朝早く、ネイを誘った。
 「行きましょう」という土地の者は使わぬ丁寧な言葉を「ましょう、ましょう、ましょう」と愉快な気持ちで反芻していると「行きましょう」に対する返事は「はい」しかないような気がして「はい」がぽろりと口から出た。それで、ぽろりと出たものではあるが、出た以上はそのようになるのだろうと、一緒に土地を出ることにした。
 当時ダイについてネイが知っていることと言えば、迷い込んだ近所の犬に向かって
「お行きなさい。」
 とやはり土地では使わぬ丁寧な言葉で、命じているのを一度見た事があるだけだった。
 ダイと暮らせば暮らす程、ますますネイはふわりふわりと浮いてしまうようになった。もともと何に対しても執着ということがない性分だ。だから、どんどと流されるがまま生きてきた。だのにダイは自分を必死でつなごうとする。その必死さが哀れで愛おしくもあり、ダイを大事にしたいとネイに思わせる。だけれどそういったネイの感情は、ダイがネイに期待しているものとは異なる種のようで、それはそうと分かっていても、ネイにはどうにもならぬ。どうにもならぬことはどうにもならぬと諦めてみると、ふわりふわりとしてしまい、なおさらその様がダイの哀しみを引き寄せてしまうのだった。そんな時、ネイはどうしたら良いのかますます分からなくなって、ダイの背にしがみついてみるが、そんな時もネイの実体はふわりとその辺りに漂っている。

2011/04/25

ほかのふうせんは_3_



といって土の中にうめて、おいのりをしてかえっていきました。
ねこは、つぎの日のよる水をかけにやってきました。
それをつぎの日つぎの日またまたつぎの日とかさねて二十日ぐらい水をかけてあげると、
小さい小さいめを出しました。
そして、ねこがまた二十日ぐらい水をやるとはっぱが出て、ねこがまた二十日ぐらいたつとつぼみが出て、また二十日水をやるときれいな赤と白がまざったあさがおの花をさかせました。

ほかのふうせんは_2_



「あっともだちだ。まって。」
とさけびました。ねこがつかむとすぐにげてしまいます。
なんかいもなんかいもくりかいしていると、とうとうつかめました。
でもねこは。つめがのびているので、ふうせんを
「ぱん。」
とわってしまいました。ねこは、びっくりしてしまいました。ねこは、しばらくたってから
「ごめんね、ごめんね。」

ほかのふうせんは_1_



白いふうせんは、町をめざしてふわふわとんでいきました。
白いふうせんは、よるになってもふわふわとんでいきました。
ちょうどねこが、よるのさんぽをたのしんでいるところでした。
ねこは、ともだちがいないので「つまんないな。」とおもいました。
すると、白いふうせんがふわふわとんできたではありませんか。ねこは、

2011/04/20

静かな身体_3_

 今では、思い出す土地の者はいないのだが、ネイはこの土地を離れて暮らしたことがある。
 ここより、だいぶ賑やかな場所であったのだが、波の反復が聞こえぬ夜に、ついぞ慣れる事がなかった。波の音があまりにも当たり前に身に馴染んでいたため、なぜこの街で眠る事ができないのか、ネイには当初まるで分からなかった。街の夜は音に溢れていたし、それに、波の音など、それまで意識したこともなかったのだ。ある夜、エアコンの機械的な反復の音に安らぎを覚えたネイは、ようやく不眠の原因に思い当たった。
 土地を出る事にも留まる事にも、さしたる意味を見いだしていなかったネイだが、血液や体液の一滴一滴が波の満ち引きとシンクロしているような自分の身体に、逃れようのない、連なる過去の日々を見た。ひとり知らない顔をして街に暮らしていても、あの土地と同調する身体があると、自分の、人らしいといえば人らしい、粘り気のようなモノを発見して、なんだか薄く笑ってしまったのだった。