夏休み初日の朝早く、二階にあるユナの部屋に、濃い潮の霧が流れ込んだ。それはいつものように、たんぺろ様の祠を清めたネイが、朝日を拝もうと顔を上げたちょうどその時だったため、海の者がユナを連れ去りにやってきたのかと、ネイを慌てさせた。
その湿気を含んだ重い霧は、ユナの部屋の隅々まで水粒を突っ込むと、その帰りしなについでような気軽さで、ユナの身体から土地の苛立ちを抉り出し、空気中に離散させたのであった。磯の匂いの水滴が垂れる部屋の中、真っ平らな心で目覚めたユナは、お引き受けの時期が終わった事を知った。
土地の者の苛立ちを一身に背負うお引き受けの者は、多くがその苛立ちによって己を忘れてしまう。また、視聴覚や言語を失う者も少なくない。しかしユナの場合、ユナはユナであり続けたし、どちらかと言えば、土地の苛立ちを受け入れて、やっと完結した存在であるかのように見えた。ユナのお引き受けは「へその少し上あたりの芯に、さびた鉄の鉤がひっかかっているような感じ」という、幾分のんきなものだった。
ユナがどこからやって来たのか、ネイには分からない。ある朝、たんぺろ様の前に、きれいな顔をして眠っていた赤ん坊がユナだ。
ネイはまるで、昨日の朝もそうであったかのように、傍らのマツの木の根元にユナを抱き移し、たんぺろ様の祠を清め始めた。そして、いつもの一連の作業が終わると、ネイはユナを抱いて家へ入り、そのまま二人の生活は始まったのだった。