2011/04/20

静かな身体_3_

 今では、思い出す土地の者はいないのだが、ネイはこの土地を離れて暮らしたことがある。
 ここより、だいぶ賑やかな場所であったのだが、波の反復が聞こえぬ夜に、ついぞ慣れる事がなかった。波の音があまりにも当たり前に身に馴染んでいたため、なぜこの街で眠る事ができないのか、ネイには当初まるで分からなかった。街の夜は音に溢れていたし、それに、波の音など、それまで意識したこともなかったのだ。ある夜、エアコンの機械的な反復の音に安らぎを覚えたネイは、ようやく不眠の原因に思い当たった。
 土地を出る事にも留まる事にも、さしたる意味を見いだしていなかったネイだが、血液や体液の一滴一滴が波の満ち引きとシンクロしているような自分の身体に、逃れようのない、連なる過去の日々を見た。ひとり知らない顔をして街に暮らしていても、あの土地と同調する身体があると、自分の、人らしいといえば人らしい、粘り気のようなモノを発見して、なんだか薄く笑ってしまったのだった。

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